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【アラベスク】  第17章 来し方の楔



第3節 星に願いを [6]




「そんな言葉、聞きたくもない」
「お兄ちゃん」
 唖然とする妹の姿に、自分自身も唖然とする。
 ワケがわからぬまま、言葉が意思とは無関係に飛び出してくる。
「お前なんか、嫌いなんだ」
 口にした途端、魁流の全身を激情が駆け巡った。
 ワケのわからない感情に(さいな)まれ、どうすればよいのか理解もできず、まるで大きな渦にでも巻き込まれたかのような混乱と息苦しさを感じ、魁流は足を動かした。
 わからない。ワケがわからなくて、どうにかなってしまいそうだ。
 恐怖にも似た何か大きなモノから逃れようとするかのように、その場を去ろうと足を動かす。だがそれは、人影によって遮られてしまった。
「待てよ」
 垂れた瞳が睨みあげる。
「勝手に逃げんなよ」
 低い位置から睨まれているのに、まるで見下ろされているかのような威圧感。魁流は、思わず止まってしまった。
「ちょっと今のは酷過ぎやしねぇか?」
 両手を軽く広げ、魁流の行く手を遮る。
「別にツバサがお前に何かしたってワケでもねぇんだろ? 嫌って言ったって、派手な喧嘩したワケでもねぇんだろうし、ツバサは悪かったって言ってるんだし、それをそこまで言う必要はねぇんじゃねの?」
「コウ、やめてよ」
 ツバサは震える声で言う。
「いいよ、コウ」
 自分が甘かったのだ。
 自責する。
 自分は兄を嫌っていた。幼稚な嫉妬で毛嫌いしていた。その感情を隠そうともしなかった。明らかに嫌いだと言いたげな視線を向けられれば、誰だって不愉快にもなるはずだ。それを、兄ならば許してくれるだろうなどと、勝手に解釈していた自分が間違っていたのだ。
 棘々しく接する自分を咎めるような事もしなかった。こっそりと唐草ハウスにまで後をつけた自分を、責めるような事もしなかった。それどころか、快く施設に招き入れてくれた。
 兄ならば、心の狭い自分をも理解して受け入れてくれる。だからきっと、今まで自分が示してきた態度をも、許してくれるに違いない。そんな甘い考えで、勝手に決め付けていただけなのだ。
 自分は、どれほど情けない人間なんだろう。
「ごめん、ごめんね」
 兄に言うともなく、コウに言うともなく、ツバサは繰り返した。
「ごめん、私が甘かったの」
 兄へ向かい、俯く。
「ごめんなさい。そうだよね、今さら憧れてただなんて、そんなのないよね。変わりたいから教えて欲しいだなんて、そんなの都合がよすぎるよね」
「そんな事ねぇよ」
 コウが声をあげる。
「都合がいいだなんて、そんな事ねぇよ。だってそうだろう? ツバサは悪い事なんてしてねぇ。兄ちゃんに嫉妬してたとしても、それに気付いて、しかもそんな自分を変えようって思ってるんだろう? それのどこが悪い事だって言うんだ? 都合良いなんて、そんな事ねぇよ」
「でもね」
「でもも何もあるかっ」
 コウが右手を振る。
「ツバサは悪くねぇ。おい、お前、兄貴なら少しはツバサの事も考えてやれよ」
 魁流に向って一歩を踏み出す。
「お前、ツバサの兄貴だろ? お前がいない間、ツバサがどれだけ悩んできたか、そこんトコわかってんのか?」
「わからない」
「だったら考えろっ!」
 拳を握りしめる。
「お前がいなくなって、自分の不甲斐無さに気付いて、ツバサはずっと悩んできたんだぞ。お前に会うのだって、すっごく悩んだんだぞ。でも自分を変えなきゃいけないって思うから、だから勇気振り絞ってここまで会いにきたんだろ。それを何だ? ツバサの事が嫌いだ? それはねぇだろ」
「だが、事実だ」
「それでも兄貴かよっ!」
 振り上げそうになるコウの手首を、魁流は素早く握り締めた。
「お前に何がわかるっ!」
 激しく、(たぎ)るような声だった。
 コウは思わず息を吸った。コウだけではない。ツバサも、美鶴も、その場の全員が瞠目した。ただ一人、霞流慎二だけが薄っすらと瞳を細める。
 そんな周囲の中で、涼木魁流が呼吸を乱している。
「お前に、何がわかる?」
「わからねぇな」
「だったら考えろ」
 握り締めていた手首を投げ捨てるように離した。
「ツバサが悩んでいただと? それが何だと言うんだっ! こっちだって、どれほどっ」
 そこで言葉を切る。
 こんな事、この場で叫んでも無駄だ。この場の誰にも無関係な事だから、叫んだところで、何にもなりはしない。だって、どうしたって、鈴は生き返りはしないのだから。
 突然言葉を切ってしまった相手と向かい合い、コウは振り払われた手首を擦る。
「つまりお前はこう言いたいのか? 彼女が死んで、中退して行方(くら)まして、自分はさんざん苦労した。だから自分には他人などを、妹などを気遣う義理は無い、と」
「やめて、コウ」
 ツバサの静止にコウは応じない。
「お前の態度はそう見える。自分が、自分こそが一番の不幸者だと」
「そんな事は誰も言っていない」
「じゃあ言葉を変える」
 コウが冷ややかに睨んだ。
「自分は、妹よりも不幸な者だと、思っている」
 弾けたように魁流が腕を伸ばした。全身で飛び付くようにコウの胸倉を両手でつかむ。勢いに押されてコウは二歩後退した。ツバサが慌てて走り寄る。
「コウ、やめて」
 美鶴も聡も瑠駆真も、どうしていいのかわからない。
 どうして私、こんなところについてきてしまったんだろう?
 場違いな邪魔者に思える。
「コウ、お願いだからやめて。お兄ちゃんも離して」
 だが魁流は離そうとはしない。ツバサの声も聞こえてはいないかのような態度で、視線は真っ直ぐにコウへと注がれている。
「お前」
 擦れた声。それ以上は何も言わない。
 軽く喉を締め上げられたコウは、相手の手首を力いっぱい握り締めながら睨み返す。
「反論もできねぇみてぇだな」







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